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2020年11月 3日 (火)

菜園の終了?(600字のエッセイ)

菜園の終了?   

 

今年の野菜づくりはさんざんだった。7月の長雨、8月の炎暑。夏野菜はプロでさえ不作であった。

その上当方は、高齢の母の介護が始まって都会にくぎ付け状態になった。コロナ禍も重なって畑に行けない。水やりも雑草取りもままならなければ野菜はできない。都会と田舎の頻繁な往復はこれからも無理に思われる。

十分楽しませてもらった。これから先を考えなければならない。そんな気持ちになっていた。

7月のはじめマンションのベランダがあまりに暑いので日よけを設置しようと思った。どうせなら何か夏野菜をと思い立ち、キュウリ、ゴーヤ、インゲンなどの蔓ものを少しばかり植えた。ベランダ菜園なら毎日面倒を見られる。苗はすくすく伸びベランダの遮光の役目を果たし、お印ばかりだが収穫もあった。

9月末夏野菜は終わった。秋冬野菜はどうする? いままでの苗づくりは菜園に温箱(超小型の温室)を作り、自動給水装置も設けて育苗をしていた。これは頻繁に面倒をみてやらないとうまくいかない。

今年は千葉から育苗箱を4つ、ベランダに運びこみ種を蒔いた。シュンギク、レタス、コカブ、ホウレンソウが芽を出し、育ち始めている。順調に育つとベランダでは狭すぎる。やはり千葉の畑にいれてやらないと。

菜園はこれでもうお終いとはいかない。まだまだ続く。続けなければ。

 

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ベランダでつくった苗を菜園に入れた。雨が適度に降り、うまくついたようだ。

 

評価なし(600字のエッセイ)

 評価なし      

 

イナカでいいことの一つは燻製づくりがおもいきり出来ることである。隣家がだいぶ離れているので、燻煙が大量に出ても大丈夫。一度都会のマンションのベランダで燻製をやったら、煙で大ブーイングを買った苦い経験がある。

当方の今は、自慢じゃないが本格派である。燻製器(スモーカー)は高さ1メートル50。中は5段で豚バラ肉のかたまり700gが15個は優に入る。「熱燻」で2時間以上かける。それは最後の最後の段階だ。

ベーコンづくりはその前の準備が大変だ。肉にたっぷり塩と香料を塗り、塩水に浸して丸1週間冷蔵する。そのあとは塩抜き。せっかく漬け込んだのをなぜ塩抜きをせねばならないのか。それはとにかく、流水にほぼ半日漬ける。次に「風乾」。涼しい風で乾かす。水気が残っていては燻煙できないのだ。

夏場では銀バエの恰好のターゲットになってしまう。銀バエは普段は全く見かけないのだが、燻製を始めるとどこからともなくやってくる。それも大群で。一瞬の隙もなく肉に取りつく。それで夏場は断念した。第一スモーカーのドアを開けるときの熱さもたまらない。

大量のベーコンづくりは12月に入ってから。正月親戚が集まったときの年賀の品としてつくる。

まあ好評のようだ。ところが最近、某奥様に評価を伺ったら「そうね、ゆで卵と6Pチーズくんせい、おいしかったわ」と。そうかい、そうかい。「塩蔵」や「風乾」の手間暇かけたベーコンには“評価なし”かい。

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燻煙のはじまり。塩蔵して、風乾したベーコンは白っぽい。

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2時間あまり燻煙すると、うまそうな色に仕上がる。

 

 

 

 

 

2020年10月16日 (金)

セイタカアワダチソウ(600字のエッセイ)

 

セイタカアワダチソウ  

 

房総の農産物の特産品の一つがナバナである。年の暮れから早春にかけて菜の花の柔らかい蕾が東京の市場をにぎわす。おひたしに鍋物に人気がある。ナバナの畑が私の家の近くの南向きの斜面にある。茎や葉が硬くなる2月ごろ収穫が終わると3月には花を咲かせっぱなしにしている。

一面の菜の花が咲き乱れる。むせ返るような匂い。早々に現れた蜂が舞っている。斜面の段々畑なので、黄色の花の太いベルトが出来上がる。その風景が。いい写真のポイントになっている。

そのナバナ畑が消えてしまった。御多分に漏れず高齢化で耕し手がいなくなったせいである。

それを待っていたかのように、一つの植物が取ってかわった。御存知のセイタカアワダチソウ。休耕の最初の年は遠慮がちに、2年目からはもう誰にはばかることなく繁茂した。この外来種は丈高が1メートルを超え、その繁殖力から侵略的外来種ワースト100に数えられている嫌われ者である。

しかし私はちょっとちがった見方をしている。戦後進駐軍の貨物に付着して渡来し在来種のススキなどを打ち負かして猖獗を極めたが、最近は日本の環境に合わせて進化?してきた。背丈が矮小化し在来のススキなどと共存するようになった。

セイタカアワダチソウは夏に花序をつけ、休耕畑で一斉に咲き出すのが秋である。春の菜の花に取って代わって、秋の陽に映え、黄色い花を風に靡かせている姿は、それはそれで美しい。

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外国ではこれを切り花にして室内に飾っている。花粉症にはならない、という。

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これが元のナバナの畑。アワダチソウの花盛りである。

 

 

2020年10月 9日 (金)

歩きスマホ防止ポスター つづき

Asi  

 

前回600字のエッセイで、歩きスマホの防止ポスターのことを書いたら

とある駅で、その新作が掲出されているのを発見した。

電車内のテレビでも、このポスターと同じ内容の動画で見た。

ああ「やめましょう、歩きスマホ」キャンペーンはまだやっているのだ、と気づいた。

 

 

 

なんでそんなに

近づいてくるの?

歩きスマホでした。

私に言わせれば、「なんで ぶつかってくるの?」だけれど

まあ、いいです。頑張って続けて下さい。

 

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やめましょう、歩きスマホ。

というストレートな訴求のポスターも

見つけました。これが本音なんでしょう。とにかく続けて下さい。

ソフトな訴求は続けないことには。

 

 

 

2020年9月22日 (火)

歩きスマホ(600字のエッセイ)

歩きスマホ     

 

 ぶつかった、

 とあなたは思う。

 ぶつかってきた、

と周りは思う。

ちょっと前に駅に掲出された「歩きスマホ禁止」のポスターで、鉄道各社と電話会社の共同キャンペーンである。気が利いたキャッチだ。でもこんなポスターで効き目があるのだろうか。

オジサンたちは怒っている。中高年が集まると傍若無人の歩きスマホにいい迷惑している、と不満がぶちまけられる。若者が圧倒的に多い。男も女も。人の流れの多い駅のコンコースで、あろうことか駅のホームでも。

大勢の歩く人の流れに乗れない。衝突、接触が起こりかねない。結局、俺たちジイさんバアさんが回避してなんとかしているのだ。

ある人は言う(実はそれは私だが)。「奴らは1.5メートル先しか見えていないんだ。こちらがふらついた態で近寄り、ちょっと足を出して、ひっかけたらどうか。みごとに転んで、歩きスマホの危険がわかるだろう」

賛同者もいたが、大勢は「やめとけ、怪我でもさせたら傷害罪だ」。それもそうだ。怒るのはわかるがやりすぎだ。別案がでた。関西のある駅でこんなポスターが出ていたという。

るきスマしとる人、今日から略して「あホ」と呼んだんねん!

それいいね。すれ違いざまに「あほ」と小さく叫ぶ。咎められたら、訳を説明してあげよう。

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文頭で紹介したポスターの文言の写真は残念だがない。類似のポスターを紹介しておく。

 

ぶつかってきたのは、あなた。

何も言わずに立ち去るのも、あなた。

 

歩きスマホに困惑しているオジさんにとっては、もう少し強く言ってほしいところだ。

2020年9月17日 (木)

菜園の終了?(600字のエッセイ)

 

菜園の終了?   

 

今年の野菜づくりはさんざんだった。7月の長雨、8月の炎暑。夏野菜はプロでさえ不作であった。

その上当方は、高齢の母の介護が始まって都会にくぎ付け状態になった。コロナ禍も重なって畑に行けない。水やりも雑草取りもままならなければ野菜はできない。都会と田舎の頻繁な往復はこれからも無理に思われる。十分楽しませてもらった。これから先を考えなければならない。そんな気持ちになっていた。

7月のはじめマンションのベランダがあまりに暑いので日よけを設置しようと思った。どうせなら何か夏野菜をと思い立ち、キュウリ、ゴーヤ、インゲンなどの蔓ものを少しばかり植えた。ベランダ菜園なら毎日面倒を見られる。苗はすくすく伸びベランダの遮光の役目を果たし、お印ばかりだが収穫もあった。

9月末夏野菜は終わった。秋冬野菜はどうする? いままでの苗づくりは菜園に温箱(超小型の温室)を作り、自動給水装置も設けて育苗をしていた。これは頻繁に面倒をみてやらないとうまくいかない。

今年は千葉から育苗箱を4つ、ベランダに運びこみ種を蒔いた。シュンギク、レタス、コカブ、ホウレンソウが芽を出し、順調に育ち始めている。移植するにはベランダでは狭すぎる。やはり千葉の畑にいれてやらないと。

菜園はこれでもうお終いとはいかない。まだまだ続く。続けなければ。

 

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つるの野菜が終わりかけたら、アサガオが咲きだした。日が短くなると咲く。やはり秋の花だ。

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水やりと日当たりがいいせいで、げんきに芽をだした秋冬野菜

 

 

2020年9月10日 (木)

千葉を襲った去年の台風(600字のエッセイ)

   

 

 去年の9月のことだ。台風15号は小型ながら強烈な風を伴って関東地方を襲った。特に千葉県の南部ではゴルフ練習場の躯体や送電線の鉄塔が倒壊するほどの強風であった。多くの民家の屋根の瓦が飛散し、屋根の木組みがむき出しになった。

私の家がある鋸南町は被害が甚大でありながら報道が後れたが、ブルーシート屋根で一躍有名になった。

私は横浜にいたので直接の被害は免れた。千葉のインフラの状況がわからず、現地に入ったのは1週間後になった。

道路には倒木があったが何とか通れて家に着くことができた。家の屋根はガリバリウム鋼板(トタン屋根の一種)のせいで、被害はなかった。ほっとしたが家の中が心配だ。すぐには家に入れない。飛んできた何本もの太い枝が邪魔しているのを取り除けて、やっとのことで家に入る。

幸い1階は被害はなさそうだ。2階へ。居間に入ってびっくりした。大量の飛散したガラス。ガラスは鋭角に破砕され鋭く床板に突き刺さっているのもあった。雨水をたっぷり含んだ布団。実は風通しのいい居間に布団を敷き、万年床のままにしていたのだ。被害の原因は一枚ガラスの大きな窓を強風が襲い、木の窓枠を破壊し、室内にガラスを飛ばしバラバラに割ったのだ。

寝具は水を含んで何日もたっているので使い物にならない。大量のガラスと一緒に車に積んで災害ごみ置場に持っていった。帰りに役場に寄って、罹災届の申請をした。

人生で初めて罹災者になった。

 

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家のすぐ近くの木々の幹や枝ががなぎ倒された。家に飛んでこなかったのは幸運としかいいようがない。

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罹災者として役場でブルーシートをもらい窓に臨時的に貼った。

 

2020年9月 5日 (土)

賢治のナミダ(600字のエッセイ)

 

賢治のナミダ     

 

 最近のテレビの天気予報が気にいらない。どこのチャンネルでも判で押したように同じ内容の予報を繰り返す。気象庁が圧倒的な情報量を集積し、最新の技術で分析し予報をだしているので、それに逆らって個々の局が独自の予報など出せる訳はない。言われたままを流すしかない。

となると「所により夕方から天気崩れて雨となるでしょう。折り畳みの傘をお持ちになると・・・」、とか「今日は洗濯日和でしょう」とか、どうでもいいような情報でお茶をにごすことになる。

 

気象庁は圧倒的な情報量を持ちながら、大外れすることもある。それを受けた放送局は一、二の例外を除いてはずれた予報にあやまったためしがない。自分の責任で予報を出したのではないので、ゴメンナサイを言う必要もない、と考えているに違いない。まったく情けない。マジメさが足りないのだ。

 

農家にとって予報の大外れは致命的なこと。

誰でもが知っている宮沢賢治の有名な詩の冒頭は、

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ

と気象と真っ向勝負で宣戦布告しているが、

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノトキハオロオロアルキ

と恨み言を連綿と手帳に記しているではないか。

 

 

 私は、ほんの少し野菜づくりをしているだけだが、天気の具合は本当に気になる。だから野菜農家の気持ちはよくわかる。「雨が降るでしょう。天気は下り坂です」雨で、天気が悪くなるなんて言わないでくれ。“干天の慈雨”ってことだってあるのだ。

ところで、台風10号はどうなるのだろうか。

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私は横浜では小さなマンション住まい。天気にはまったく関心を持たずに暮らせる。気になるのはいつもイナカのことだ。

この写真は私の住まいの近くのマンション。この写真は特に気に入っている。白い壁のマンションに細い植木がひとつだけ覗いているところがいい。

 

2020年8月31日 (月)

約束の場所(600字のエッセイ)

    

 

戦後、東京・山手線の外周は急激に人口が増加し、わずかに残っていた遊休地が急速に後退した。子供のころ、林で虫を追い、草地に寝転がり、川に入ってエビを捕まえた。

 

そんな遊び場が忽然と消え、塀で固めた家屋が蝟集した。奪われた私の少年時代。悔しかった。長ずるに及んでも持ち続けていたのは、それを取り戻したいという、漠然としてはいたが強固な思いだった。

 

自然の喪失を唯一救ってくれたのは、夏休みの臨海学校だった。

両国駅からリュックを背負って汽車に乗る。江戸川を渡るとすぐに豊かな田園地帯が広がり、やがて畑と林が交互に現れる。

汽車は突然トンネルに突入する。油断をしていた生徒たちは侵入する黒煙に咳き込み、目的地に着いた時には顔中煤だらけになった。

 

千葉県・外房の紺碧の海。少年の背丈には余るほど高く打ち寄せる波。岩場で貝を拾い、潜れば浅瀬でもサザエが採れた。

それから50年もの月日が流れ、引退の時を迎えた。私は失われた少年時代を取り戻そうともがいた。都会には友人知人親族、医者病院、暮らしに馴染んだものがある。すべてを置いて新しい土地に住めない。

見つけたところは外房の海辺ではなかった。

週末通うのにアクセス時間が短くてすむ内房の、それも里山だった。千葉県安房郡鋸南町。東京から100キロもないのに過疎化が始まり、自然だけは豊富にある。

そこが私にとっての〝約束の場所〟だ。

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そこで野菜作りを始めた。10年を超えた。だが今はちょっと無理。コロナのせいもあって頻繁には千葉に行けない。

月に2回では葉物、キュウリなどは無理。そこで果樹に変更。これはブルーベリー。苗木から育てはじめて

来年夏の収獲を楽しみにしている。

 

 

露天風呂をつくる(600字のエッセイ)

 

家の構造は決まった。間取りも決まった。

さて各部屋の詳細を決める段になって、施主である私は予算がすでに超オーバーしていることに気づいた。キッチンは既製品のシステムキッチン。洗面、トイレもシンプルそのものに。

「お風呂だけは凝りたいですよね」と設計士が膝を乗り出してヒノキ、ヒバの風呂の良さを語る。

「何といってもこの家には木の風呂が似合います」

 

15年も前のこと。はっきり記憶している。設計士の熱心なすすめを蹴ってシンプルなシステムバスにしてもらった。実は秘めたプランがあった。家が完成後、露天風呂を手作りする。里山のドン詰まりの地形を生かして、木々の緑に囲まれて、里山の風景を一望できる風呂。

温泉だってできるかも。100mも掘れば低温だがどこでも温泉が出るとスーパー銭湯の経営者の友人はいう。それは無理でも五右衛門風呂なら確実にできる。風呂上がりに手作りのベランダでビールを飲む。

ということで既製品の風呂で家は完成したが2年、3年たっても一向に露天風呂は実現しない。里山に来るととにかく忙しいのだ。畑の野菜の世話や庭の手入れは充実した時間だが、滞在日はあっという間に過ぎる。

 

そして10年がまたたく間に過ぎた。正直、歳もとってきた。風呂の建設用地はいつでも工事にかかれるが、もはや露天風呂でビールは実現しないだろう。

そんなことなら、設計士の推奨の木の風呂にしておけばよかった。

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少々の灌木はあるがこれを払えば視界がひろがり、はるか先だが海(東京湾)も望めるのだが。

 

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