賢治のナミダ(600字のエッセイ)
賢治のナミダ
最近のテレビの天気予報が気にいらない。どこのチャンネルでも判で押したように同じ内容の予報を繰り返す。気象庁が圧倒的な情報量を集積し、最新の技術で分析し予報をだしているので、それに逆らって個々の局が独自の予報など出せる訳はない。言われたままを流すしかない。
となると「所により夕方から天気崩れて雨となるでしょう。折り畳みの傘をお持ちになると・・・」、とか「今日は洗濯日和でしょう」とか、どうでもいいような情報でお茶をにごすことになる。
気象庁は圧倒的な情報量を持ちながら、大外れすることもある。それを受けた放送局は一、二の例外を除いてはずれた予報にあやまったためしがない。自分の責任で予報を出したのではないので、ゴメンナサイを言う必要もない、と考えているに違いない。まったく情けない。マジメさが足りないのだ。
農家にとって予報の大外れは致命的なこと。
誰でもが知っている宮沢賢治の有名な詩の冒頭は、
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ
と気象と真っ向勝負で宣戦布告しているが、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノトキハオロオロアルキ
と恨み言を連綿と手帳に記しているではないか。
私は、ほんの少し野菜づくりをしているだけだが、天気の具合は本当に気になる。だから野菜農家の気持ちはよくわかる。「雨が降るでしょう。天気は下り坂です」雨で、天気が悪くなるなんて言わないでくれ。“干天の慈雨”ってことだってあるのだ。
ところで、台風10号はどうなるのだろうか。
私は横浜では小さなマンション住まい。天気にはまったく関心を持たずに暮らせる。気になるのはいつもイナカのことだ。
この写真は私の住まいの近くのマンション。この写真は特に気に入っている。白い壁のマンションに細い植木がひとつだけ覗いているところがいい。
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