600字もエッセイ
植村直己
木を三つ書くと「森」になる。日を三つ書くと水晶の「晶」になる。では、木偏に「毛」を三つ書くと何という字になるか。その一字だけを書いた男を、私は忘れられない。
かつて私は、企業から依頼を受けて講師を派遣する仕事をしていた。その男とは、紹介者なしに、電話とFAXだけのやりとりだけで、東京駅の駅頭で会った。新幹線で名古屋へ。
男はある石油会社の幹部候補生集めたセミナーで講演を行い、終了後、招聘した企業の幹部と挨拶を交わした。色紙を差し出され、「橇(そり)」と一字だけ書いた。
――疲れます。私には冒険が仕事になってしまいました。準備に多くの人手がかかり、莫大な資金も必要になります(こういう講演は助かります)。北極へ飛行機を飛ばすにはパイロットの手配だけではなく、関係国の許可を取らねばなりません。資材を行く先々に落とす、これって本当に冒険でしょうか。
出発すれば危険はいっぱいですが、天候待ちはできないのです。テレビのクルーが待っているからです。アマゾンを源流から筏で下ったときのような、純粋に冒険に戻りたいです。
帰りの新幹線の中で、その男は以上の趣旨のことをゆっくりと語った。
東京駅で別れた。男はすぐに人ごみのなかにまぎれてしまった。
オシロイバナ(黄)
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