最近のトラックバック

2020年9月17日 (木)

菜園の終了?(600字のエッセイ)

 

菜園の終了?   

 

今年の野菜づくりはさんざんだった。7月の長雨、8月の炎暑。夏野菜はプロでさえ不作であった。

その上当方は、高齢の母の介護が始まって都会にくぎ付け状態になった。コロナ禍も重なって畑に行けない。水やりも雑草取りもままならなければ野菜はできない。都会と田舎の頻繁な往復はこれからも無理に思われる。十分楽しませてもらった。これから先を考えなければならない。そんな気持ちになっていた。

7月のはじめマンションのベランダがあまりに暑いので日よけを設置しようと思った。どうせなら何か夏野菜をと思い立ち、キュウリ、ゴーヤ、インゲンなどの蔓ものを少しばかり植えた。ベランダ菜園なら毎日面倒を見られる。苗はすくすく伸びベランダの遮光の役目を果たし、お印ばかりだが収穫もあった。

9月末夏野菜は終わった。秋冬野菜はどうする? いままでの苗づくりは菜園に温箱(超小型の温室)を作り、自動給水装置も設けて育苗をしていた。これは頻繁に面倒をみてやらないとうまくいかない。

今年は千葉から育苗箱を4つ、ベランダに運びこみ種を蒔いた。シュンギク、レタス、コカブ、ホウレンソウが芽を出し、順調に育ち始めている。移植するにはベランダでは狭すぎる。やはり千葉の畑にいれてやらないと。

菜園はこれでもうお終いとはいかない。まだまだ続く。続けなければ。

 

Dscn6160

つるの野菜が終わりかけたら、アサガオが咲きだした。日が短くなると咲く。やはり秋の花だ。

Dscn6163

水やりと日当たりがいいせいで、げんきに芽をだした秋冬野菜

 

 

2020年9月10日 (木)

千葉を襲った去年の台風(600字のエッセイ)

   

 

 去年の9月のことだ。台風15号は小型ながら強烈な風を伴って関東地方を襲った。特に千葉県の南部ではゴルフ練習場の躯体や送電線の鉄塔が倒壊するほどの強風であった。多くの民家の屋根の瓦が飛散し、屋根の木組みがむき出しになった。

私の家がある鋸南町は被害が甚大でありながら報道が後れたが、ブルーシート屋根で一躍有名になった。

私は横浜にいたので直接の被害は免れた。千葉のインフラの状況がわからず、現地に入ったのは1週間後になった。

道路には倒木があったが何とか通れて家に着くことができた。家の屋根はガリバリウム鋼板(トタン屋根の一種)のせいで、被害はなかった。ほっとしたが家の中が心配だ。すぐには家に入れない。飛んできた何本もの太い枝が邪魔しているのを取り除けて、やっとのことで家に入る。

幸い1階は被害はなさそうだ。2階へ。居間に入ってびっくりした。大量の飛散したガラス。ガラスは鋭角に破砕され鋭く床板に突き刺さっているのもあった。雨水をたっぷり含んだ布団。実は風通しのいい居間に布団を敷き、万年床のままにしていたのだ。被害の原因は一枚ガラスの大きな窓を強風が襲い、木の窓枠を破壊し、室内にガラスを飛ばしバラバラに割ったのだ。

寝具は水を含んで何日もたっているので使い物にならない。大量のガラスと一緒に車に積んで災害ごみ置場に持っていった。帰りに役場に寄って、罹災届の申請をした。

人生で初めて罹災者になった。

 

Dscn4697

家のすぐ近くの木々の幹や枝ががなぎ倒された。家に飛んでこなかったのは幸運としかいいようがない。

Dscn4720

罹災者として役場でブルーシートをもらい窓に臨時的に貼った。

 

2020年9月 5日 (土)

賢治のナミダ(600字のエッセイ)

 

賢治のナミダ     

 

 最近のテレビの天気予報が気にいらない。どこのチャンネルでも判で押したように同じ内容の予報を繰り返す。気象庁が圧倒的な情報量を集積し、最新の技術で分析し予報をだしているので、それに逆らって個々の局が独自の予報など出せる訳はない。言われたままを流すしかない。

となると「所により夕方から天気崩れて雨となるでしょう。折り畳みの傘をお持ちになると・・・」、とか「今日は洗濯日和でしょう」とか、どうでもいいような情報でお茶をにごすことになる。

 

気象庁は圧倒的な情報量を持ちながら、大外れすることもある。それを受けた放送局は一、二の例外を除いてはずれた予報にあやまったためしがない。自分の責任で予報を出したのではないので、ゴメンナサイを言う必要もない、と考えているに違いない。まったく情けない。マジメさが足りないのだ。

 

農家にとって予報の大外れは致命的なこと。

誰でもが知っている宮沢賢治の有名な詩の冒頭は、

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ

と気象と真っ向勝負で宣戦布告しているが、

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノトキハオロオロアルキ

と恨み言を連綿と手帳に記しているではないか。

 

 

 私は、ほんの少し野菜づくりをしているだけだが、天気の具合は本当に気になる。だから野菜農家の気持ちはよくわかる。「雨が降るでしょう。天気は下り坂です」雨で、天気が悪くなるなんて言わないでくれ。“干天の慈雨”ってことだってあるのだ。

ところで、台風10号はどうなるのだろうか。

Dscn4246mannsyonn-001

 

私は横浜では小さなマンション住まい。天気にはまったく関心を持たずに暮らせる。気になるのはいつもイナカのことだ。

この写真は私の住まいの近くのマンション。この写真は特に気に入っている。白い壁のマンションに細い植木がひとつだけ覗いているところがいい。

 

2020年8月31日 (月)

約束の場所(600字のエッセイ)

    

 

戦後、東京・山手線の外周は急激に人口が増加し、わずかに残っていた遊休地が急速に後退した。子供のころ、林で虫を追い、草地に寝転がり、川に入ってエビを捕まえた。

 

そんな遊び場が忽然と消え、塀で固めた家屋が蝟集した。奪われた私の少年時代。悔しかった。長ずるに及んでも持ち続けていたのは、それを取り戻したいという、漠然としてはいたが強固な思いだった。

 

自然の喪失を唯一救ってくれたのは、夏休みの臨海学校だった。

両国駅からリュックを背負って汽車に乗る。江戸川を渡るとすぐに豊かな田園地帯が広がり、やがて畑と林が交互に現れる。

汽車は突然トンネルに突入する。油断をしていた生徒たちは侵入する黒煙に咳き込み、目的地に着いた時には顔中煤だらけになった。

 

千葉県・外房の紺碧の海。少年の背丈には余るほど高く打ち寄せる波。岩場で貝を拾い、潜れば浅瀬でもサザエが採れた。

それから50年もの月日が流れ、引退の時を迎えた。私は失われた少年時代を取り戻そうともがいた。都会には友人知人親族、医者病院、暮らしに馴染んだものがある。すべてを置いて新しい土地に住めない。

見つけたところは外房の海辺ではなかった。

週末通うのにアクセス時間が短くてすむ内房の、それも里山だった。千葉県安房郡鋸南町。東京から100キロもないのに過疎化が始まり、自然だけは豊富にある。

そこが私にとっての〝約束の場所〟だ。

Dscn6010

 

そこで野菜作りを始めた。10年を超えた。だが今はちょっと無理。コロナのせいもあって頻繁には千葉に行けない。

月に2回では葉物、キュウリなどは無理。そこで果樹に変更。これはブルーベリー。苗木から育てはじめて

来年夏の収獲を楽しみにしている。

 

 

露天風呂をつくる(600字のエッセイ)

 

家の構造は決まった。間取りも決まった。

さて各部屋の詳細を決める段になって、施主である私は予算がすでに超オーバーしていることに気づいた。キッチンは既製品のシステムキッチン。洗面、トイレもシンプルそのものに。

「お風呂だけは凝りたいですよね」と設計士が膝を乗り出してヒノキ、ヒバの風呂の良さを語る。

「何といってもこの家には木の風呂が似合います」

 

15年も前のこと。はっきり記憶している。設計士の熱心なすすめを蹴ってシンプルなシステムバスにしてもらった。実は秘めたプランがあった。家が完成後、露天風呂を手作りする。里山のドン詰まりの地形を生かして、木々の緑に囲まれて、里山の風景を一望できる風呂。

温泉だってできるかも。100mも掘れば低温だがどこでも温泉が出るとスーパー銭湯の経営者の友人はいう。それは無理でも五右衛門風呂なら確実にできる。風呂上がりに手作りのベランダでビールを飲む。

ということで既製品の風呂で家は完成したが2年、3年たっても一向に露天風呂は実現しない。里山に来るととにかく忙しいのだ。畑の野菜の世話や庭の手入れは充実した時間だが、滞在日はあっという間に過ぎる。

 

そして10年がまたたく間に過ぎた。正直、歳もとってきた。風呂の建設用地はいつでも工事にかかれるが、もはや露天風呂でビールは実現しないだろう。

そんなことなら、設計士の推奨の木の風呂にしておけばよかった。

Dscn6060

少々の灌木はあるがこれを払えば視界がひろがり、はるか先だが海(東京湾)も望めるのだが。

 

2020年8月26日 (水)

18歳と80歳

80歳を少し超えた友人からこんなメールが届いた。

 

18歳と80歳の違い」  

 

自分探しの旅に 出るのが18歳
外に出て 家族が探しているのが80歳

 

道路を 暴走するのが18歳
道路を 逆走するのが80歳

 

偏差値が 気になるのが18歳
血糖値が 気になるのが80歳

 

心が もろいのが18歳
骨が もろいのが80歳

 

恋に 溺れるのが18歳
風呂に 溺れるのが80歳

 

中高年、後期高齢者の心境告白ごっこが流行している。

「あーんして 昔ラブラブ 今介護」のシルバー川柳は、今やその年代のファッションである。

   さっそく私も、友人にメールを返した。

 

まだ 何も知らないのが18歳

もう 何も覚えていないのが80歳

 

つい 薬に手をだしてしまうのが18歳

ついに 薬なしでは生きられないのが80歳

 

東京五輪に 出場したいのが18歳
東京五輪まで 生きたいのが80歳

Dscn6092

 

今年の夏は異常な天気だった。前半は毎日毎日雨。

後半は異常な暑さが連日続いた。で、つくりやすいプチトマトもこんな具合。

 

続・18歳と80歳の違い

実は、続きがある。

メールを返信したついでに何人かの友人に拡散した。すると、しばらくして、私も作ったよ、と返信があった。で、続編を掲載します。

(勝手ながら私の独断で、原稿をすこし修正させていただきました。

ご容赦ください)

 

 

恋で胸を詰まらせる18歳

餅で喉を詰まらせる80歳

 

スポーツのあと、筋肉が張るのが18歳

何もしないのに、筋肉に貼るのが80歳

 

緊張で震えるのが18歳

何でもないのに震えるのが80歳

 

偏差値が気になる18歳

検査値が気になる8

 

金も時間もないのが18歳

金も時間も使い道がない80歳

 

将来がぼんやりしか見えない18歳

将来がはっきり見えているのが80歳

 

すれちがって胸がドキドキするのが18歳

急ぎ足で胸がドキドキするのが80歳

 

人の話を聞く気がないのが18歳

人の話しが聞こえないのが8

 

同窓会 乾杯!!で始まるのが18歳

同窓会 献杯!で始まるのが80歳

 

お迎えに行く役を喜んでする18歳

お迎えが来るのをひたすら待つ80歳

Dscn6018 

葉物野菜がさっぱりダメ。香りのものは丈夫なので、

赤シソ、青シソ、バジルなどがかすかに育っている。

 

 

続続・18歳と80歳の違い

  もうこんなものだろうと思っていたら、

  まだまだ続編が集まった。類似や重複を恐れず掲載します。

 

「もう子供じゃない」と思う18歳

「すっかり子供」を自覚する80歳

 

ハガキがいくらか、封書がいくらか知らない18歳

63円、84円とちゃんと知っている80歳

 

ぜい肉はいらないが、筋肉は欲しい18歳

ぜい肉はついてきても、筋肉が欲しい80歳

 

虫歯が痛い18歳

入れ歯が痛い80歳

 

まだまだ 若いと言われる18歳

まだまだ お若いと言われる80歳

 

學校や職場で終生の友と出会う18歳

すでに終生の友と別れてしまった80歳

 

就活疲れ18歳

終活疲れ80歳

 

まだ18歳

もう80歳

 

 

ひとまず終わります。

Dscn6056

田舎がだめなら都会で。ベランダ菜園です。

ベランダも炎暑でしたが、いまゴーヤが実っています。

 

 

 

2020年8月12日 (水)

我が家のクモ(600字のエッセイ)

我が家のクモ      

 

我が家には大きな蜘蛛がいつもいる。結構大きい。長い脚が10センチもあるのが風呂場や台所に潜んでいる。初めて我が家に来たお客さんは「ギャ」と叫び声をあげる。でも何も害はしない。人の気配でそろそろと物陰に隠れる。

 

害はないどころかゴキブリの天敵である。8本のすばやく動く脚であの逃げ足の速いゴキブリを捕え、捕食してしまうのだ。時にゴキの脚や羽が床に落ちているのをみかける。

 

名称はアシダカグモ。我が家ではその醜悪な肢体から「タランチュラ」と呼んで忌避してきたが、今では「タラちゃん」という愛称で、物陰に隠れたがるシャイな同居人と仲良く暮らしている。

 

アシダカグモは卵鞘(卵を包む袋)をつくってたくさんの卵を産み落とす。この蜘蛛の卵鞘は500円硬貨くらいの大きさでフェルトの白いベレー帽のようでカワイイ。時々見かけたが何だかわからなかった。

 

ある時、物置に置いてあった横川の釜めしの瀬戸物を片付けていた時のことだ。何気なく蓋を開けると、小さな粒々が一斉に外に飛び出してきた。何だ!何だ! 粒々はまるで蜘蛛の子を散らすように一斉に外に這い出し、視界から消えていった。釜の底には白いベレー帽だけが残っていた。

しばらくして、そうだこれが

「蜘蛛の子を散らす」

なんだ、と気づいた。言葉だけは知ってはいた「蜘蛛の子を散らす」。蜘蛛の子は本当に四方八方に散って逃げるのだ。

 

 

蜘蛛の子を散らす写真をさがそうとしたが、そんな写真はあるわけない。カメラを構えてシャッターをおす時間などあたえてくれない。

Dscn5870

しかたがないので、アシダカグモの写真をさがしたが、御見苦しい写真で失礼。

久しぶりに来た家のテーブルに。死因はわからないが、ときどき遭遇する。

虫の苦手な人は田舎暮らしちょっとつらいかも。

でもなにごとも慣れです。つまんで窓のそとに。

 

 

 

虫も殺さぬ顔 (600字のエッセイ)

虫も殺さぬ顔        

 

野暮用で都会にいて、やっと田舎に来れて野菜畑に立つとちょっと緊張する。野菜たちは元気か。水は足りているか。へんな虫はついていないか。

「あ、テントウムシ!」

「★(ほし)いくつ?」

「★7つ。かわいい。それと★20も」

「★20は葉っぱを食べる。即刻処分しないと」。妻もよく知っている。妻の方が容赦なく掣肘を加える。1匹見つければ葉裏までくまなく捜す。私に「手のひらを出せ」という。その上に★20が半死状態で置かれる。無言で「殺れ」と。私の男気が試されている。仕方ない。やってやろうじゃないか。ばかだね。私は足元に★20を落として、半死ながら必死に雑草の根元に隠れようとするのを、かまわず長靴を乗せ、グググッと踏みしめる。

時に親指くらいの太さの青虫を渡される。ちょっと持ち重りがする。足に吸盤がついていて手のひらに感触が伝わってくる。きもかわいい。一瞬のためらいののち、私は投げる。外野に届くくらいの勢いで竹林のなかに投げる。妻は「戻ってくるかもしれない」と処分方法にクレームをつける。自分では決して手を出さない。後生が悪いことはしない。亭主ならかまわないのか。

そうか、亭主に殺生をさせて地獄に行ってもらおう、という魂胆か。そして自分は極楽浄土へ。サヨナラサヨナラ。来世までお付き合いは御免! そう思ってのことに違いない。

かく判ずる私も、来世で妻と再び会うことを望んでる? 再会を心底喜ぶのだろうか。

Dscn5737

 

あじさい。銘は「墨田の花火」鉢物で頂いたのを地植えしたところ、花を咲かせた。花色がうすい。石灰がたりないのか?

«無関心(600字のエッセイ)

フォト
無料ブログはココログ
2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30